健康100歳

100歳で自転車が乗れ、106歳まで健康でいたい!

今しかない!

Startup!515 020603

今しかない!

目に映るもの、頭の中をめぐらす事、時間と共に刻々変わる。

1分前1秒前と、今は、違う。

見ようと思っても巻き戻せない。

脳に記憶された部分しかプレイバック出来ない。記憶される内容って、本当に、正しいのだろうか?

変化、移り変わる目の前の動きを見ている目は、気になった部分にフォーカスしていて、周囲がぼやけたりする。フォーカス点も刻々かわり、その繋がりが、記憶される。

注目点以外は、ぼやけた曖昧な姿しか記憶されない。

こう見てくると、人間の記憶は、人が違えば、興味の対象も異なり、同じ場所にいても、違った風景が記憶されている事となる。

なので、同じ場所、同じ方向に向いていても、分からない。

その人のフィルターが掛かっていて、正確なところは分からない。が、

今を、より深く観察する事は大事になってくる!

写真はどうか?

注目点にカメラを向けて、被写界深度を深くすれば、フォーカス点に狙いを定めていても、周囲はボケない様にできる。

出来上がった写真を見たとき、思っても見なかった部分が目に入る時が有る。邪魔になる時もあるが、貴重な場合もある。

人間の記憶と、写真の記録は、同じ過去を見ているが、全く異なっている。

ファインダーの中での注目点が、出来上がった写真を見たとき、同じ様に見えてくれれば、と思うが、そうはいかない。

思いを伝える写真、目に入った像な注目点 と、周囲のボケ感が、写真に表せたら、もしかして、脳の像と、近い写真になったら、と試行錯誤!

ここで、写真にした時、注目点は、なぜ注目したのか、撮った時と、何か違う…、

記憶の転写にならないので、分からない。

分かる様にするにはどうしたら良いのか?

見て感動した事を、その情景を言葉で話す、伝えるのも難しかったりする。

写真で、その場を共有する事の方が伝わり易くなるのではないかと思うけれど。

いわゆる、現場写真、リアルに、ありのままを撮る。記録写真。

芸術的写真より、記録写真の方が、伝わる場合もあるかもしれない。

しかし、実際に見た風景が縮小されて写真になっていて、写真で見る光景は異なってくる。

撮った自分は、撮るときの風景と重ね合わせて見ることができるが、

他人は、写真が全てであり、その中から、 

私の撮った状況を読みとってもらいたいけれど、この違いは、埋めようがない。

リアルな写真だけでも、伝えるのは難しい!

写真は、その人を表すと言うが、そう見える時も有るけれど、本当の気持ちは、その人に聞いてみないと、分からない!

コミュニケーションは、こんな時、大事になってくる!

令和2年、実行、Startup!

 

しばらく振りのブログ、

FacebookInstagram、への投稿に偏っていたが、つい長くなってしまい、重くなってしまう。この様な事から、ブログ、すなわち日記、として、記録した方が良いかな、と思った次第です。

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やすらぎの場所

小学2年生まで住んでいた2階から海が見えた!

色々な思い出が有る。

遠浅の海、見渡せど、砂浜と、白い波、そして地平線、ここに来ると落ち着く!

初日の出を見に、時折来ていたが、ここ3年連続、やはり、気持ちがゆったりとする。

思わず、健康で明るい家庭そして仕事が順調に行く事を、願わずにはいられない!

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晴天の朝、こんな光景が…

晴天の朝、いつもの様に歩いていて、少し目線を変えたら、どこか、リゾート地へ来た様な風景が飛び込んで来た!

見方を変えれば新たな世界が広がるのかも、漫然と過ごすのはもったいない!

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